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悲しいですね

一般的に邪気と呼ばれているものを本当は邪気とは呼びたくないと僕は以前ブログで書きました。邪気の存在を認めている人ですら邪気は本当は何かを知らない人は多いと思います。最近、怪しい路線を突っ走るようになってからブログを読んでくださる方が増えました。そういった方々は薄々感じていると思いますので隠さず言います。全てではありませんが邪気のほとんどは亡くなって成仏できていない人の魂です。

亡くなって成仏できず苦しんでいる人は助けてほしくて、自分に気付いてほしくて、人に憑きます。でも憑いてしまうと憑かれた人は具合が悪くなったり、成仏できていない人のネガティブな感情が伝わり精神的にやられてしまったりと不具合が生じてきます。本当は人を苦しめたくて憑くわけではないのに人は彼らを悪霊と呼びます。先人を敬えと言いつつ亡くなった人生の先輩を悪霊と呼びます。そして霊能者などに依頼しお祓いしてもらい自分から追い出してしまいます。敬うべき先人たちは、助けてもらえず悪霊と呼ばれお祓いされ、また先の見えない苦しみの旅に出ます。

僕のやっている邪気の昇華とは、未成仏の霊を祓うのではなく成仏させることです。霊とはいえ元々人間なのですから恐れることなく癒します。たまに自分の亡くなった家族に憑かれてしまい、それを家族だともわからず、悪霊退散などと祓う人もいます。悲しいことですね。

この世界観を全ての人に信じてもらおうとは思っていません。「悪霊を祓う」といった常識になりつつある悲しい考え方を改める人が少しでも出てきたら嬉しく思います。

パワーストーンに邪気を吸い込ませ、溜まったら月の光にあてたり塩水につけたりして浄化(追い出す)する。邪気というものが何なのかがわかれば少しはその行為の意味がわかるかもしれません。パワーストーンが掃除機で、人の魂がゴミで、溜まったら捨てているということですね。どうせなら昇華してほしいなと心から思います。

僕たちも亡くなって成仏できなければ同じ目にあうかもしれないのです。

悲しいですね。

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